太宰治の生涯と作品年表|無頼派の作家

「人間失格」など、数々の名作を残した太宰治。
その破滅的な人生を文学へと昇華させてきました。

今回はそんな太宰治の生涯と作品についてご紹介します。

太宰治の誕生

太宰治(本名:津島修治)は明治42年6月19日に青森県北津軽郡金木村に生まれました。
父の津島源右衛門と母のたねの第10子、6男としての誕生でした。

津島家は明治維新後に農地と金貸業を基盤に成長した新興商人地主で、太宰が生まれた当時も曽祖母、祖母、叔母に使用人まで含めると30名を超す大所帯でした。

母が病弱だった為、太宰は生まれてすぐに乳母につき、その後は叔母の部屋で育てられます。
2歳になると叔母が専任女中を雇い、その女中である近村タケが子守となりました。
政治家だった父を支える母も多忙だった為、太宰は母よりも叔母を慕っていました。

道化者と学生時代

小学校に入った太宰は成績優秀でありながら、教師をからかう様なわんぱくな一面も持ち合わせていました。
また小さい頃からおとぎ話が好きだった太宰は読書に熱中し、作文力でも教師たちを驚かせます。

主席で金木第一尋常小学校を卒業したものの、”学力補充”という理由で郊外の明治高等小学校へ通わされることに。
そして1年遅れの中学受験の直前、父が風邪をこじらせて亡くなってしまいます。

青森中学校に進学した太宰でしたが、小学校時代の同級生が上級生になっているという事に苦しめられます。
この遅れを取り戻し、1年前倒しで官立高校に進むために勉強に励みました。
勉強と両立しながらも読書や創作にも力を入れ、校友会誌に「最期の太閤」を発表。
その後も友人と同人雑誌を刊行して「辻島衆二」の筆名で作品を発表していきます。

勉強が実を結び、希望通りに第4学年終了後に官立弘前高校へと進む事が出来ました。
市外の者は寮に入る事になっていましたが、共同生活への懸念を母が抱き、太宰は親戚の家に下宿することになります。

文学の道へ

昭和2年7月24日、芥川龍之介が自殺します。
その2ヶ月前に偶然芥川の講演を聞いていた太宰も大きな衝撃を受け、この出来事はその後の人生にも影響を与え続けました。

この頃から学業に専念する事はなくなっていき、花柳界に出入りをし始めます。
そこで芸姑の紅子(本名:小山初代)と出会い、仲を深めていきました。

読書好きは相変わらずで、近松の戯曲や泉鏡花、芥川龍之介の作品に傾倒していきます。

2年に進級すると個人編集の同人雑誌「細胞文芸」を創刊。
ここに亡くなった父をモデルにし悪徳地主の姿を描いた「無間奈落」を掲載したことで、長兄に叱責されます。

第3号からは井伏鱒二や舟橋聖一らも随筆や短篇を寄稿しますが、第4号で廃刊することに。
しかし作家の道に進む決意は既に太宰の中で固まっていました。

その後は青森市の同人雑誌「猟騎兵」や、上田重彦が編集責任者の新聞雑誌部委員に加わります。

自殺未遂

昭和4年、仲の良かった弟の礼治が敗血症で亡くなります。
そしてこの年の12月10日、カルモチンの大量摂取で太宰は自殺を図りました

昏睡状態に陥ったものの自殺は失敗。
原因は思想的苦悩や成績の低下、芸姑との結婚問題だったといわれています。

回復した太宰は期末試験を休み、大鰐温泉で静養することに。
冬休みが明けると、上田重彦ら左翼関係の生徒が警察に検挙、学校からも処分されます。
上田と親しかった太宰も恐れますが、検挙される事はありませんでした。

東京帝大文学部フランス文学科へ進んだ太宰。
このころ共産党員の度重なる勧誘を受けて毎月の資金カンパを引き受けます。

同時期、井伏鱒二のもとを訪れて入門する事になりますが、三兄の死など辛い出来事も重なります。

昭和5年11月、太宰は銀座のバーの女給だった田辺あつみ(本名:田辺シメ子)と鎌倉の海岸でカルモチンによる心中自殺を図ります

しかし女性だけが死亡し太宰は生き残り、2度目の自殺失敗となりました。
原因は芸姑との同棲計画が露見して分家除籍を言い渡された事からでした。

左翼と太宰

翌年に初代との結婚生活が始まりますが、借りた1軒屋の2階が党活動家のアジトに利用されるなど、太宰も巻き込まれていきます。
太宰を勧誘した工藤永蔵が検挙されてからは、引っ越しを繰り返したり偽名を使うなど苦労を強いられました。

昭和7年、太宰は長兄の勧告と警察の要請を受けて出頭。
左翼運動からの絶縁を誓うことになります。

その後文壇処女作の「思ひ出」を書き始め、作家としての道を歩み始めます。
季刊文芸誌「鷭」に「葉」、「猿面冠者」を発表すると世間からの注目も高まりました。

そして今宮一、檀一雄らと同人雑誌「青い花」を創刊。
更に「道化の華」、「逆行」などを発表していきます。

しかしこの頃の太宰は大学卒業を引き伸ばして生家からの仕送りを頼りにする日々を送っていました。
その仕送りももうすぐ終わる事になると、講義に出ずに一単位も取得していなかった太宰は焦ります。

窮地を脱するべく都新聞者の入社試験を受けますが、これも失敗。
絶望した太宰は鎌倉山で縊死を図りますが、これも未遂に終わります。

芥川事件

もう津軽に連れ帰ろうという長兄に対し、井伏鱒二や檀一雄らが懇願してあと1年仕送りを続けて貰うことになりました。

直後に太宰は急性盲腸炎で入院。
手術後に腹膜炎を併発して重態に陥ります。
その苦痛を和らげる為に打っていたパビナールが次第に習慣化していきました。

退院後、第一回芥川賞の最終候補に「逆行」と「道化の華」が上がっている事を知ります。
しかし結果は落選で、太宰もひどく落胆しました。

芥川賞の選考経緯が公表されると、川端康成の下記の一文に太宰は激怒します。

「私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾あつた」

パピナール中毒もあり奇行が目立っていた太宰は、文芸通信10月号で「小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」と反論

川端康成は次号で太宰自身の誤解を解いた上で自分の「不遜の暴言」に対して素直に謝罪します。

昭和11年2月、太宰は佐藤春夫の勧めもありパビナール中毒の治療の為に入院します。
しかし夜になると抜け出して飲酒やパビナールの摂取を行い、医師たちにも呆れられ10日程で退院

このころ創作集「晩年」が出版されます。

8月初旬に第3回芥川賞候補に「晩年」が上がっていることを佐藤春夫から聞いた太宰は、今度こそ受賞を確信します。
借金を返す為に副賞の賞金がほしかったのです。
しかし結果は落選で、パビナール中毒による妄想もあって佐藤春夫に裏切られたと思った太宰は、短篇「創世記」の中で楽屋噺を暴露します。
これに佐藤春夫も応酬。
これらの出来事は”芥川事件”と呼ばれることになります。

人間失格

そして今度は井伏鱒二らに説得されて武蔵野病院に入院。

この入院中に妻の初世が身内の青年と姦通事件を起こしました。
1ヶ月の強制収容で中毒は根治ちますが、太宰は自らに”人間失格”の烙印を押すことになります。

退院後に初代と谷川岳の山嶺でカルモチンによる心中自殺を図りますが、これも未遂に終わりました。
そして初代は青森の実家へ帰り、離別することに。

しばらくして太宰は井伏鱒二の引き合いで石原美和子と見合いをし、紆余曲折を経て結婚します。
その後は「富嶽百景」「愛と美について」「女生徒」など創作に励んでいきました。

昭和16年には長女が誕生。
その年の11月には文士徴用令書を受けますが胸部疾患の為免除となります。

井伏鱒二は徴用に行き、監督不在となった太宰は文筆家志望の太田静子と逢いびきをするようになります。
生家からの仕送りも期限が過ぎていましたが、実際はまだ毎月仕送りを受け続けていました。

徐々に文壇での地位は高まっていき、文学青年やファンも太宰のもとに押しかけるようになります。
その中で屋台で出会った美容師の山崎富栄とも、太宰は関係を深めていきました。

懐妊した静子から離れ、富栄のもとで仕事をするようになる太宰。
そのころ出版した「斜陽」はベストセラーとなり、”斜陽族”という流行語まで誕生しました。

続いて「人間失格」の執筆に取り掛かる太宰でしたが、喀血するなど体は徐々に弱っていました。

そして昭和23年6月13日、玉川上水に富栄と共に入水し心中自殺をしたのです。
遺体が見つかった6月19日は”桜桃忌”として今も太宰治を偲ぶ集いが開催されています。

太宰治のおすすめ作品とあらすじ

この章では太宰治の主な有名作品とあらすじを一覧でまとめてご紹介します。

津軽


【内容あらすじ】
「私は津軽に生れ、津軽に育ちながら、今日まで、ほとんど津軽の土地を知っていなかった」。戦時下の1944年5月、太宰治は3週間かけて初めて津軽地方を一周。郷里の風土や歴史、自らにも流れる津軽人気質に驚嘆、慨嘆、感嘆の旅は、やがてその秘められた目的地へと向かう。ユーモアに満ちたふるさと再発見の書。

人間失格


【内容あらすじ】
「恥の多い生涯を送って来ました。」生への意志を失い、廃人同様に生きる男が綴る手記を通して、自らの生涯の終りに臨んで、著者が内的真実のすべてを投げ出した傑作告白体小説。

斜陽


【内容あらすじ】
敗戦直後の没落貴族の家庭にあって、恋と革命に生きようとする娘かず子、「最後の貴婦人」の気品をたもつ母、破滅にむかって突き進む弟直治。滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた作品。

作品年表

西暦作品名
1934ロマネスク
1935ダス・ゲマイネ
1936
1937燈籠
1938
1939富嶽百景、黄金風景、女生徒、新樹の言葉、葉桜と魔笛、八十八夜、畜犬談、皮膚と心
1940俗天使、鷗、春の盗賊、女の決闘、駈込み訴へ、走れメロス、古典風、乞食学生、きりぎりす
1941東京八景、清貧譚、みみずく通信、佐渡、千代女、新ハムレット、風の便り、誰
1942"恥、十二月八日、律子と貞子、水仙、正義と微笑"
1943黄村先生言行録、右大臣実朝、不審庵、花吹雪、佳日、散華
1944津軽、新釈諸国噺
1945竹青、惜別、お伽草紙、パンドラの匣
1946冬の花火、春の枯葉、雀、親友交歓、男女同権
1947トカトントン、メリイクリスマス、ヴィヨンの妻、女神、フォスフォレッスセンス、斜陽
1948眉山、如是我聞、人間失格、グッド・バイ

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は太宰治の生涯と作品についてご紹介しました。

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