「破戒」や「夜明け前」など、数々の名作を残した島崎藤村。
自然主義文学を代表する作家としても知られています。
今回はそんな島崎藤村の生涯と作品についてご紹介します。
島崎藤村の生涯
島崎藤村の誕生
島崎藤村は1872年(明治5年)2月17日、現在の長野県木曽郡に生まれました。
家は馬籠宿の本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家で、藤村(本名:春樹)は四男三女の末っ子でした。
10歳の時、藤村は長男の秀雄と東京へ遊学に出ます。
家族などから援助を受けながら学業に励んでいった藤村。
その後英語学習の為に入ったミッションスクールの明治学院で、木村熊二の伝導でキリスト教の洗礼を受けます。
そしてシェイクスピアなど西欧文学にも魅了され、文学仲間との交流のなかで日本の古典にも心を動かされていきました。
作家の道へ
明治学院を卒業すると雑貨屋の手伝いなどをしていましたが、ある時木村熊二の紹介で知り合った巌本善治から「女学雑誌」の翻訳寄稿の仕事を依頼されます。
その女学雑誌に載っていた北村透谷の「厭世詩家と女性」に深く感動を受けた藤村は、透谷のもとを訪れます。
そして交友圏を広げていった藤村は、星野天知や平田禿木らと雑誌「文学界」を創刊します。
後に樋口一葉や田山花袋なども加わるこの雑誌「文学界」は、浪漫主義文学運動の中心となっていきました。
恋愛と葛藤
明治25年、巌本善治の招きで明治女学校の教壇に立つ事になった藤村。
ここで教え子のひとりである輔子(すけこ)に特別な感情を抱き始めます。
[桜の実の熟する時]
しかし輔子には婚約者がおり、キリスト教的戒律との矛盾の中で激しく葛藤します。
結果藤村は1学期で教壇を去り、所属していた教会からも抜けてしまいました。
その後旅に出て自身を見つめ直そうとした藤村でしたが、明治27年5月、北村透谷が25歳の若さで自殺します。
友人の悲劇に無力感を感じる藤村。
更に生家の瓦解などもあり、しばらくは思うように創作の時間を取る事が出来ませんでした。
詩人、島崎藤村
しかし明治29年、仙台の東北学院に教師として赴任した藤村は「若菜集」所収の詩篇を書き始めます。
そして明治30年8月に春陽堂から「若菜集」が刊行。
自身の青春をもとにした抒情詩は多くの人々の心を動かしていきました。
この後に「一葉舟」「夏草」「落梅集」を続けて刊行し、詩人として名をあげていきます。
明治32年には東京に戻り、小諸義塾の英語・国語教師として赴任。
このころ秦フユと結婚しています。
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島崎藤村「初恋」朗読動画|四季の美Youtubeチャンネル
破戒
新しい生活の中で「旧主人」「藁草履」などの短編を書きはじめ、やがて「破戒」の構想を練り始めます。
明治38年に教師を退職。
明治39年に「破戒」を自費出版で刊行し、本格的に小説家の道を歩み始めました。
自然主義文学の代表的存在として見られていた藤村は「春」「家」などを続けて発表していきます。
しかしこの頃は娘が相次いでこの世を去り、明治43年には妻のフユも亡くなるという悲劇に見舞われました。
フランス
大正2年、藤村はフランスへ旅に出ます。
それは実の姪であるこま子と恋愛関係になり、妊娠させてしまったという現実から逃れる為でした。
フランスでの永住も考えていた藤村でしたが、第2次世界大戦もあり帰国すると、再びこま子との関係も復活してしまいます。
罪の意識に悩んでいた藤村でしたが、懺悔の為に作品として昇華する道を選びます。
そうして発表された「新生」は朝日新聞で連載され反響を得ますが、芥川龍之介からは「老獪なる偽善者」との批判も浴びました。
晩年
その後も文筆活動に励んだ藤村。
「処女地」の協力者でもあった加藤静子と再婚すると、父をモデルにした大作「夜明け前」の準備に取り掛かります。
そして昭和4年から10年にかけて中央公論に分載されると、”屈指の傑作”などと高い評価を受けました。
文学界の重鎮となっていた藤村でしたが、昭和18年に「東方の門」の連載途中で脳溢血によってこの世を去ります。
数々の名作を残した71年の生涯。
最期の言葉は「涼しい風だね」でした。
島崎藤村のおすすめ作品とあらすじ
この章では島崎藤村の主な有名作品とあらすじ、おすすめの本を一覧でまとめてご紹介します。
破戒
【内容あらすじ】
明治後期、部落出身の教員瀬川丑松は父親から身分を隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、猪子蓮太郎の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の戒めを破ってしまう。その結果偽善にみちた社会は丑松を追放し、彼はテキサスをさして旅立つ。激しい正義感をもって社会問題に対処し、目ざめたものの内面的相剋を描いて近代日本文学の頂点をなす傑作。
夜明け前
【内容あらすじ】
山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。
藤村詩集
【内容あらすじ】
〈まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり(初恋)〉〈とほきわかれにたえかねて/このたかどのにのぼるかな(高楼)〉他に『千曲川旅情の歌』『椰子の実』等々、青春の日の抒情と詠嘆を、清新で香り高い調べにのせ、一読忘れがたい印象を残す近代浪漫詩の精華。本書をひもとくことは、在りし日の青春と邂逅することにほかならない。
作品年表
西暦 | 作品名 |
---|---|
1897年 | 若菜集 |
1898年 | 一葉舟 |
1898年 | 夏草 |
1901年 | 落梅集 |
1902年 | 旧主人 |
1904年 | 藤村詩集 |
1906年 | 破戒 |
1908年 | 春 |
1911年 | 家 |
1912年 | 千曲川のスケッチ |
1913年 | 眼鏡 |
1918年 | 海へ |
1919年 | 桜の実の熟する時 |
1919年 | 新生 |
1920年 | ふるさと |
1921年 | ある女の生涯 |
1924年 | おさなものがたり |
1924年 | 幸福 |
1926年 | 嵐 |
1929年 | 夜明け前 |
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は島崎藤村の生涯と作品についてご紹介しました。
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