兼好法師が鎌倉時代末期に書いた随筆、徒然草(つれづれぐさ)。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる徒然草の中から「飛鳥川の淵瀬」について詳しく解説していきます。
(読み方は”あすかがわのふちせ”)
徒然草「飛鳥川の淵瀬」の解説
徒然草でも有名な、「飛鳥川の淵瀬」について解説していきます。
徒然草「飛鳥川の淵瀬」の原文
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しび行き交ひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変はらぬすみかは人あらたまりぬ。
桃李もの言はねば、たれとともにか昔を語らん。
まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡(*)のみぞ、いとはかなき。
京極殿・法成寺など見るこそ、志とどまり、事変じにけるさまは、あはれなれ。
御堂殿の作りみがかせ給ひて、庄園多く寄せられ、わが御族のみ、御の御後見、世のかためにて、行く末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。
大門・金堂など近くまでありしかど、正和のころ、南門は焼けぬ。
金堂はそののち倒れ伏したるままにて、取り立つるわざもなし。
無量寿院ばかりぞ、その形とて残りたる。
丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。
行成の大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。
法華堂などもいまだ侍るめり。
これもまた、いつまでかあらん。
かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。
徒然草「飛鳥川の淵瀬」の現代語訳
飛鳥川の淵や瀬が無常である(ように定めのない)世の中であるので、時は移り、物事は消え去り、楽しみや悲しみがかわるがわる行き来して、はなやかに栄えたあたりも人の住まない野原となり、(昔と)変わらない住居は(住む)人が変わってしまった。
(昔のままに咲く)桃やすものはものを言わないので、誰とともに昔を語ろうか。(いや、昔を語りあえる者は誰もいない。)
まして、見(た事も)ない昔の尊かったとかいう遺跡は特に、非常にはかない。
京極殿や法成寺などを見るに、(建立したときの)志は残り、事態は変わってしまった様子は、しみじみと感慨深い。
藤原道長が立派にお造りになり、荘園を多くご寄進なさって、自身の子孫だけが、天皇のご後見役、世の重鎮して、将来まで(栄えるように)と前もってお考えになったとき、どのような世にも、これほどすっかり荒れ果ててしまうだろうとはお思いになっただろうか。(いや、まったくお思いにならなかっただろう。)
大門や金堂などは近頃まであったけれど、正和のころ、南門は焼けてしまった。
金堂はその後倒れ伏してしまったままであって、再建することもない。
無量寿院だけが、当時の形見として残っている。
(堂内には)一丈六尺の仏像が九体、とても尊い様子で並んでいらっしゃる。
行成大納言の(書いた)額、兼行が書いた扉(の文字)が、はっきりと見えるのはしみじみと感慨深い。
法華堂などもいまだにございますようだ。
これもまた、いつまであるであろうか。
これほどの遺跡さえ(残ってい)ない所々は、たまたま土台だけ残る所もあるが、(それが何であったか)はっきりと知っている人もいない。
そうであるから、何事につけ、見ないような(死後の)世のことまでも前もって心に決めておくようなことは、頼りないことというべきであろう。
徒然草「飛鳥川の淵瀬」の単語・語句解説
誰とともに昔を語ろうか。(いや、昔を語り合える者は誰もいない。)
[おぼしきおきしとき]
前もってお考えになったとき。
[いかならん世にも]
どのような世にも。
[おぼしてんや]
お思いになっただろうか。(いや、まったくお思いにならなかっただろう。)
*徒然草「飛鳥川の淵瀬」でテストによく出る問題
○問題:「やんごとなかりけん跡(*)」の意味は何か。
答え:尊かったとかいう遺跡。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は徒然草でも有名な、「飛鳥川の淵瀬」についてご紹介しました。
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