徒然草(つれづれぐさ)は兼好法師(けんこうほうし)が鎌倉時代末期に書いた随筆です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる徒然草の中から「よろづのことは、月見るにこそ」について詳しく解説していきます。
徒然草「よろづのことは、月見るにこそ」の解説
徒然草でも有名な、「よろづのことは、月見るにこそ」について解説していきます。
徒然草「よろづのことは、月見るにこそ」の原文
よろづのことは、月見るにこそ慰むものなれ。
ある人の、
「月ばかりおもしろきものはあらじ。」
と言ひしに、また一人、
「露こそなほあはれなれ。」
と争ひしこそをかしけれ。
折にふれば、何かはあはれならざらん(*)。
月・花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。
岩に砕けて清く流るる水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。
「沅・湘日夜東に流れ去る。愁人のために住まること少時もせず。」
といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。
嵆康も
「山沢に遊びて、魚鳥を見れば心楽しぶ。」
と言へり。
人遠く、水・草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
徒然草「よろづのことは、月見るにこそ」の現代語訳
全てのことは、月を見ることによって(心が)慰むものである。
ある人が、
「月ほど興あるものはあるまい。」
と言ったところ、またもう一人が、
「露のほうがもっと趣深い。」
と言い争ったのは面白い。
その時機にあうならば、何であろうとしみじみと趣深くないものがあろうか。(いや、何だってしみじみと趣深いものだ。)
月や花は言うまでもなく、風こそまさに人に(興趣を感じる)心を起こさせるようだ。
岩に砕けて清く流れる水の様子は、四季の別なくすばらしい。
「沅水や湘水は、昼も夜も(絶えず)東の方に流れ去る。愁いにしずんでいる人(私)のためにとどまることは少しの間もしない。」
と述べた詩を見ましたのは、まことにしみじみと趣深いことだった。
嵆康も
「山や水辺に遊んで、魚や鳥を見ると心が楽しくなる。」
と言った。
人里遠く、水や草の清い所にさまよい歩いている時ほど、心の慰むことはないだろう。
徒然草「よろづのことは、月見るにこそ」の単語・語句解説
月ほど。
[折にふれば]
その時機にあうならば。
[さらなり]
言うまでもなく。
[風のみこそ]
風こそまさに。
[時をも分かず]
四季を区別せず。
[人遠く]
人里遠く。
*徒然草「よろづのことは、月見るにこそ」でテストによく出る問題
○問題:「何かはあはれならざらん(*)」の意味を答えよ。
答え:何であろうとしみじみと趣深くないものがあろうか。(いや、何だってしみじみと趣深いものだ。)
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は徒然草でも有名な、「よろづのことは、月見るにこそ」についてご紹介しました。
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