兼好法師が鎌倉時代末期に書いた随筆、徒然草(つれづれぐさ)。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる徒然草の中から「ある人、弓射ることを習ふに」について詳しく解説していきます。
徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」の解説
徒然草でも有名な、「ある人、弓射ることを習ふに」について解説していきます。
徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」の原文
ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。
師のいはく、
「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度(*)ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」
と言ふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。
この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。
なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。
徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」の現代語訳
ある人が、弓を射ることを習うときに、二本の矢を手に持って的に向かった。
(すると、弓の)先生が言うには、
「習い始めの人は、二本の矢を持ってはならない。(二本持つと)二本目の矢を当てにして、最初の矢をおろそかにする気持ちが出る。射るたびごとに、矢の当たり外れを考えずに、この一本の矢で決めようと思え。」
と言う。
たった二本の矢で、(しかも)先生の前で、その一本を疎略にしようなどと思うことがあろうか、いや、思う事はないはずである。
(しかし、まだ一本あると)なまけ怠る心は、自分では気づかなくとも、先生にはこれがわかる。
この(弓を射る場合の)戒めは、(弓を射るときばかりでなく)全ての場合に通じるであろう。
(学問や芸能など、専門の)道を修行する人は、夕方には翌朝がある(から)と思って、朝には夕方がある(から)と思って、その時になって繰り返し、丁寧に修行しようと予定する。
(一日という時間でも、このようなのだから)まして(矢を射るという)一瞬間のうちに、なまけ怠る気持ちのあることを、(その本人自身)気づこうか、いや、気づきはしない。
なんとまあ、現在の一瞬間にすぐに実行するのは、たいへん難しいのであろうか。
徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」の単語・語句解説
最初に取り上げた一本の矢で決めよう。
[ねんごろに]
丁寧に。
[修せんことを期す]
修行する心づもりでいる。
*徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」でテストによく出る問題
○問題:「毎度(*)とはどういう意味か。
答え:矢を射る都度。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は徒然草でも有名な、「ある人、弓射ることを習ふに」についてご紹介しました。
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