平安時代後期に書かれた歴史物語、大鏡(おおかがみ)。
藤原氏の繁栄、そして政権の争奪等が描かれています。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる大鏡の中から「最後の除目(さいごのしもく)」について詳しく解説していきます。
(「兼通と兼家の不和」とする教科書も有り)
大鏡「最後の除目」の解説
大鏡でも有名な、「最後の除目」について解説していきます。
大鏡「最後の除目」の原文
この殿たちの兄弟の御中、年ごろの官位の劣り優りのほどに、御仲悪しくて過ぎさせ給ひしあひだに、堀河殿御病重くならせ給ひて、今は限りにておはしまししほどに、東の方に、先追ふ音のすれば、御前に候ふ人たち、
「誰ぞ。」
など言ふほどに、
「東三条殿の大将殿参らせ給ふ。」
と人の申しければ、殿聞かせ給ひて、
「年ごろ仲らひよからずして過ぎつるに、今は限りになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそは。」
とて、御前なる苦しきもの取りやり、大殿籠りたる所ひきつくろひなどして、入れ奉らむとて、待ち給ふに、
「早く過ぎて、内裏へ参らせ給ひぬ。」
と人の申すに、いとあさましく心憂くて、
「御前に候ふ人々も、をこがましく思ふらむ。おはしたらば、関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。かかればこそ、年ごろ仲らひよからで過ぎつれ。あさましく安からぬことなり。」
とて、限りのさまにて臥し給へる人の、
「かき起こせ。」
とのたまへば、人々、あやしと思ふほどに、
「車に装束せよ。御前もよほせ。」
と仰せらるれば、物のつかせ給へるか、うつし心もなくて仰せらるるかと、あやしく見奉るほどに、御冠召し寄せて、装束などせさせ給ひて、内裏へ参らせ給ひて、陣の内は君達にかかりて、滝口の陣の方より、御前へ参らせ給ひて、昆明池の障子のもとにさし出でさせ給へるに、昼の御座に、東三条の大将、御前に候ひ給ふほどなりけり。
この大将殿は、堀河殿すでに失せさせ給ひぬと聞かせ給ひて、内に関白のこと申さむと思ひ給ひて、この殿の門を通りて、参りて申し奉(*)るほどに、堀河殿の目をつづらかにさし出で給へるに、帝も大将も、いとあさましく思し召す。
大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしぬ。
関白殿、御前につい居給ひて、御気色いと悪しくて、
「最後の除目行ひに参りて侍りつるなり。」
とて、蔵人頭召して、関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、小一条の済時の中納言を大将になし聞こゆる宣旨下して、東三条殿をば治部卿になし聞こえて、出でさせ給ひて、ほどなく失せ給ひしぞかし。
心意地にておはせし殿にて、さばかり限りにおはせしに、ねたさに内裏に参りて申させ給ひしほど、異人すべうもなかりしことぞかし。
大鏡「最後の除目」の現代語訳
この殿たち(=兼通と兼家)のご兄弟の間柄は、長年の官位の優劣を争っている間に、お仲が悪くてお過ぎになさっていましたが、堀河殿のご病気が重くなられて、もうこれが最期という状態でいらっしゃった時に、東の方で、先払いする声がするので、(堀河殿の)おそば近くにお仕えする人たちは、
「誰だろうか。」
などと言ううちに、
「東三条殿の大将殿(=兼家)がおいでになります。」
とある人が申しましたので、殿(=堀河殿)がお聞きになられて、
「数年来仲がよくない状態で過ごしてきたが、もうこれが最期になったと聞いて、見舞いにおいでになるのだろう。」
と言って、おそばにある見苦しい物を取りのけ、おやすみになっている所を整えなどして、お入れ申しあげようと、待っていらっしゃると、
「とっくに通り過ぎて、内裏へ参上なさいました。」
とある人が申しますので、たいそう驚きあきれて不愉快で、
「おそばに仕える人たちも、みっともないと思っているだろう。いらっしゃったなら、関白など譲ることなど申しあげようと思っていたのに。このようであるからこそ、長年仲がよくなくて過ぎてきたのだ。驚きあきれて心穏やかでないことだ。」
と言って、臨終が近い様子で体を横たえていらっしゃる人が、
「抱き起こせ。」
とおっしゃるので、人々が、変だと思っているうちに、
「車に(乗るための)仕度をせよ。先払いの者たちを招集せよ。」
とお命じになるので、(人々は)物の怪がおとりつきになっているのか、正気もなくおっしゃるのかと、不審に(思って)見申しあげていますと、(堀河殿は)御冠をお取り寄せになって、装束などをお着けになられて、内裏へ参内なさって、近衛の陣の内側は息子たちに寄りかかって、滝口の陣の方から、(帝の)御前へ参上なさって、昆明池の障子の辺りにお出になられたところ、昼の御座で、東三条の大将(=兼家)が、帝の御前に伺候していらっしゃるところでしたよ。
この大将殿(=東三条殿)は、堀河殿がすでにお亡くなりになったとお聞きになって、円融天皇に関白のことを申しあげようとお思いになって、この殿(=堀河殿)の門(の前)を通って、参内して(帝に)申しあげているところに、堀河殿が(怒りの)目をかっと見開いて現れなさったので、帝も大将も、たいそう意外にお思いなさる。
大将は(堀河殿を)ちらっと見るやいなや、立って鬼の間の方へいらっしゃった。
関白殿(=兼通)は、帝の御前にかしこまってお座りになって、ご機嫌がたいそう悪く、
「最後の除目を行いに参内いたしました。」
と言って、蔵人頭をお呼び寄せになり、関白には頼忠の大臣(=藤原頼忠)を(お任じになり)、東三条殿の大将を取り上げて、小一条の済時(=藤原済時)の中納言を大将にお任じ申しあげる宣旨を下して、東三条殿を治部卿にお任じ申しあげて、ご退出なさって、間もなくお亡くなりになったのですよ。
意地っ張りでいらっしゃった殿で、あれほど最期のご様子でいらっしゃったのに、憎しみのために参内し(この除目を)申しあげなさったことは、他の人には(まねも)できないことでしたよ。
大鏡「最後の除目」の単語・語句解説
もうこれが最期。
[おはしまししほどに]
いらっしゃった時に。
[御前に候ふ人たち]
おそば近くにお仕えする人たち。
[仲らひよからずして]
間柄がよくない状態で。
[苦しきもの取りやり]
見苦しい物を取りのけ。
[ひきつくろひなどして]
整えなどして。
[入れ奉たむとて]
お入れ申しあげようと。
[いとあさましく心憂くて]
たいそう驚きあきれて不愉快で。
[をこがましく思ふらむ]
みっともないと思っているだろう。
[かかればこそ]
このようであるからこそ。
[安からぬことなり]
心穏やかでないことだ。
[限りのさまにて]
臨終が近い様子で。
[あやし]
ここでは”変だ”や”妙だ”という意味。
[失せさせ給ひぬ]
お亡くなりになった。
[あさまりく思し召す]
意外にお思いになさる。
[うち見るままに]
ちらっと見るやいなや。
[つい居給ひて]
かしこまってお座りになって。
[除目]
大臣以外の官職を任命する朝廷儀式のこと。
[なし聞こゆる]
お任じ申しあげる。
[さばかり]
あれほど。
*大鏡「最後の除目」でテストによく出る問題
○問題:何を「申し奉(*)」ったのか答えよ。
答え:関白である堀河殿は亡くなったので、次は自分を関白に任じて欲しいという事。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は大鏡でも有名な、「最後の除目」についてご紹介しました。
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