大鏡「道隆と福足君」原文と現代語訳・解説・問題|歴史物語

桔梗
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大鏡は平安時代後期の歴史物語で、”おおかがみ”と読みます。

今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる大鏡の中から「道隆と福足君(みちたかちふくたりぎみ)」について詳しく解説していきます。

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大鏡「道隆と福足君」の解説

大鏡でも有名な、「道隆と福足君」について解説していきます。

大鏡「道隆と福足君」の原文

粟田殿の御男君達ぞ三人御座せしが、太郎君は福足君と申ししを、をさなき人はさのみこそは(*)と思へど、いとあさましう、まさなう、あしくぞおはせし。

東三条殿の御賀に、この君、舞をせさせ奉らむとて、習はせ給ふほども、あやにくがりすまひ給へど、よろづにをこつり、祈をさへして、教へ聞こえさするに、その日になりて、いみじうしたて奉り給へるに、舞台の上に上がり給ひて、ものの音調子吹き出づるほどに、

「わざはひかな、あれは舞はじ。」

とて、びづら引き乱り、御装束はらはらと引き破り給ふに、粟田殿、御色真青にならせ給ひて、あれかにもあらぬ御けしきなり。
ありとある人、

「さ思ひつることよ。」

と見給へど、すべきやうもなきに、御舅の中の関白殿の下りて、舞台に上らせ給へば、言ひをこづらせ給ふべきか、また憎さにえたへず、追ひ下ろさせ給ふべきかと、かたがた見侍りしに、この君を御腰のほどに引きつけさせ給ひて、御手づからいみじう舞はせたりしこそ、楽もまさりおもしろく、かの君の御恥もかくれ、その日の興もことのほかにまさりたりけれ。
祖父殿もうれしと思したりけり。
父の大臣はさらなり、よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ。

かやうに、人のために情け情けしきところおはしまけるに、など御末枯れさせ給ひにけむ。
この君、人しもこそあれ、蛇れうじ給ひて、そのたたりにより、頭に物はれて、失せ給ひにき。

大鏡「道隆と福足君」の現代語訳

粟田殿のご子息は三人いらっしゃって、ご長男は福足君と申し上げましたが、小さい子はそういうものだとはいえ、相当にあきれるほど行状が悪い、悪い子でいらっしゃいました。

東三条殿の御祝のときに、この福足君に舞をおさせ申し上げようと、(舞を)お習わせになりましたところ、だだをこねて、抵抗していらっしゃいましたが、いろいろご機嫌を取り、祈禱までして、お教え申し上げましたが、その日になって、はなはだ美しく舞の装束を整え申し上げなさったところ舞台の上に上られて、楽器の音が最初の曲を吹き始めると、

「いやだよ。私は舞わぬぞ。」

といって、結った髪を引きむしり、御装束をびりびりと破りなさる始末で、粟田殿はお顔の色が真っ青になってしまわれ、ぼう然自失のご様子です。
そこにいた誰もが、

「そんなことだと思っていました。」

と御覧になっていましたが、どうしようもなくなっていたところに、御伯父の中の関白殿がおりて来られて、舞台の上にお上がりになりましたので、いいくるめなさるのであろうか、それとも、憎くてたまらず、舞台からお下ろしなさるのだろうかと、人々は見ておりましたが、(中の関白殿は)この君をご自身の腰のあたりに引きつけなさって、ご自身でも素晴らしく舞をなさって音楽も一段とおもしろくなりました。

福足君の恥も隠れてその日の興もことのほかすばらしいものでした。
おじい様(東三条殿)もうれしくお思いになりました。
父の大臣(粟田殿)は言うまでもなく、他人でさえ、むしょうに感動し申し上げたのでした。

このように、(中の関白殿は)他人のために情け深い所がおありになった方なのに、どうして子孫が衰えておしまいになったのでしょう。
福足君のほうは、相手もあろうに、蛇をいじめなさって、そのたたりで、頭に腫物ができて、お亡くなりになりました。

大鏡「道隆と福足君」の単語・語句解説

[あやにくがり]
だだをこねて。

[すまひ給へど]
抵抗していらっしゃいましたが。

[下て奉り給へるに]
舞の装束を整え申し上げなさったところ。

[あれかにもあらぬ]
ぼう然自失の。

[さ思ひつることよ]
そんなことだと思っていました。

[言ひをこつらせ給ふべきか]
言いくるめなさるであろうか。

[御末枯れさせ給ひにけむ]
子孫が衰えておしまいになったのでしょう。

*大鏡「道隆と福足君」でテストによく出る問題

○問題:「さのみこそは(*)」とはどのような意味か。
答え:(小さい子)はそういうものではあるが。子どもがやんちゃでわがままなのは当然という意味。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は大鏡でも有名な、「道隆と福足君」についてご紹介しました。

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