大鏡は平安時代後期に書かれた作者不明の歴史物語で、読み方は”おおかがみ”です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる大鏡の中から「道長と隆家」について詳しく解説していきます。
(”隆家と道長”という題名の教科書も有り)
大鏡「道長と隆家」の解説
大鏡でも有名な、「道長と隆家」について解説していきます。
大鏡「道長と隆家」の原文
入道殿の土御門殿にて御遊びあるに、
「かやうのことに、権中納言のなきこそ、なほさうざうしけれ。」
とのたまはせて、わざと御消息聞えさせ給ふほど、杯あまたたびになりて、人々乱れ給ひて、紐おしやりて候はるるに、この中納言参り給へれば、うるはしくなりて、居直りなどせられければ、殿、
「とく御紐解かせ給へ。こと破れ侍りぬべし。」
と仰せられければ、かしこまりて逗留し給ふを、公信卿、後ろより、
「解き奉らむ。」
とて寄り給ふに、中納言御けしきあしくなりて、
「隆家は不運なることこそあれ、そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず。」
と、荒らかにのたまふに、人々御けしき変り給へるなかにも、今の民部卿殿は、うはぐみて、人々の御顔をとかく見給ひつつ、
「こと出来なむず、いみじきわざかな。」
と思したり。
入道殿、うち笑はせ給ひて、
「今日は、かやうのたはぶれごと(*)侍らでありなむ。道長解き奉らむ。」
とて、寄らせ給ひて、はらはらと解き奉らせ給ふに、
「これらこそあるべきことよ。」
とて、御けしき直り給ひて、さし置かれつる杯取り給ひてあまたたび召し、常よりも乱れあそばせ給ひけるさまなど、あらまほしくおはしけり。
殿もいみじうぞもてはやし聞こえさせ給ひける。
大鏡「道長と隆家」の現代語訳
入道殿(藤原道長)の土御門殿で宴が催されたときに、
「このようなこと(宴の催し)に、権中納言(藤原隆家)がいないのは、やはりもの足りないことだ。」
とおっしゃって、わざわざご案内申し上げなさる間、何杯も杯を重ねて、人々はお酔いになって、お召し物の紐を解いてくつろいでいらっしゃるときに、この中納言(隆家)が参上なさいましたので、(人々は、)居ずまいを正して、座りなおされたりなさいましたので、入道殿(道長)が、
「早く紐をお解きなさい。興がさめてしまいましょう。」
とおっしゃったので、(隆家は、)恐縮してためらっていらっしゃるのを、公信卿が、後ろから、
「お解きしましょう。」
といってお寄りなさいますと、中納言(隆家)はご機嫌が悪くなって、
「隆家は不運な境遇にあるとはいえ、そなたらにこんなふうに扱われるべき身ではない。」
と、荒々しくおっしゃったので、人々はお顔の色が変わりなさいましたが、その中でも、今の民部卿殿(源俊賢)は、興奮して、人々のお顔をあれこれと見まわしなさりながら、
「きっととんでもないことになったものよ。」
とお思いになっている。
入道殿(道長)は、お笑いになられて、
「硬派、このような冗談話にいたしましょうよ。この道長がお解きしましょう。」
といって、(隆家の)おそばにお寄りになって、はらはらとお解き申し上げなさいますと、(隆家は、)
「この扱いこそふさわしいことですなぁ。」
と言って、ご機嫌がお直りになって、前に置かれてあった杯をお取りになって、何杯も召し上がり、ふだんよりも酔ってはめをはずされたありさまなど、実に好ましくていらっしゃいました。
入道殿(道長)もたいへんひきたてて饗応し申し上げなさったことでした。
大鏡「道長と隆家」の単語・語句解説
やはりもの足りないことだ。
[御消息聞こえ給ふほど]
ご案内申し上げなさる間。
[紐おしやりて]
お召し物を解いて。
[居直りなどせられければ]
座りなおされたりなさいましたので。
[そこたちいかやうにせらるべき身にもあらず]
そなたらにこんなふうに扱われるべき身ではない。
[こと出で来なむず]
きっと一大事が起こるだろう。
[解き奉らせ給ふに]
お解き申し上げなさいますと。
*大鏡「道長と隆家」でテストによく出る問題
○問題:「かやうのたはぶれごと(*)」
答え:「隆家は不運なることこそあれ、そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず。」という隆家の言葉。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は大鏡でも有名な、「道長と隆家」についてご紹介しました。
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