大鏡(おおかがみ)は作者不詳の歴史物語で、平安時代後期に成立しました。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる大鏡の中から「道長と詮子(みちながとせんし)」について詳しく解説していきます。
(教科書によっては「関白の宣旨」や「女院と道長」という題名も有り。)
大鏡「道長と詮子」の解説
大鏡でも有名な、「道長と詮子」について解説していきます。
大鏡「道長と詮子」の原文
女院は、入道殿を取り分き奉らせ給ひて、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿は、疎々しくもてなさせ給へりけり。
帝、皇后宮をねんごろに時めかさせ給ふゆかりに、帥殿は明け暮れ御前に候はせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、ことに触れて申させ給ふを、おのづから心得やせさせ給ひけむ、いと本意なきことに思し召しける、理なりな。
入道殿の世をしらせ給はむことを、帝、いみじうしぶらせ給ひけり。
皇后宮、父大臣おはしまさで、世の中をひき変はらせ給はむことを、いと心苦しう思し召して、粟田殿にも、とみにやは宣旨下させ給ひし。
されど、女院の道理のままの御事を思し召し、また帥殿をばよからず思ひ聞こえさせ給うければ、入道殿の御事を、いみじうしぶらせ給ひけれど、
「いかでかくは思し召し仰せらるるぞ。大臣越えられたることだに、いといとほしく侍りしに、父大臣のあながちにし侍りしことなれば、いなびさせ給はず(*)なりにしこそ侍れ。粟田の大臣にはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむ、いと便なく、世の人も言ひなし侍らむ。」
など、いみじう奉せさせ給ひければ、むつかしうや思し召しけむ、のちには渡らせ給はざりけり。
されば、上の御局に上らせ給ひて、
「こなたへ。」
とは申させ給はで、我、夜の御殿に入らせ給ひて、泣く泣く申させ給ふ。
その日は、入道殿は上の御局に候はせ給ふ。
いと久しく出でさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、戸を押し開けて出でさせ給ひける。
御顔は赤み濡れつやめかせ給ひながら、御口はこころよく笑ませ給ひて、
「あはや、宣旨下りぬ。」
とこそ申させ給ひけれ。
いささかのことだに、この世ならず侍るなれば、いはむや、かばかりの御ありさまは、人の、ともかくも思し置かむによらせ給ふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。
その中にも、道理すぎてこそは報じ奉り仕うまつらせ給ひしか。
御骨をさへこそは懸けさせ給へりしか。
大鏡「道長と詮子」の現代語訳
女院は、入道殿を特別にお扱い申しあげなさって、たいそう愛し申しあげていらっしゃったので、帥殿は、よそよそしくなさっていらっしゃいました。
帝が、皇后宮(=定子)を心からご寵愛なさる関係から、(皇后の兄である)帥殿はいつも帝の御前に伺候申しあげて、入道殿は申すまでもなく、女院をもよくないように、何かにつけて申しあげなさるのを、(女院も)自然とお気づきになっていらっしゃったのでしょうか、たいそう不本意なこととお思いになられたのは、もっともであるよ。
入道殿が国を治めなさることを、帝は、たいそうお渋りなさいました。
皇后宮が、父大臣(=道隆)はいらっしゃらないで、世の中の情勢が中宮(=定子)にとって一変してしまいはしないかということを、(帝は)たいそう気の毒にお思いになられて、粟田殿(=道兼)にも、すぐに(関白の)宣旨をお下しになったでしょうか(、いや、お下しにはなりませんでした)。
しかし、女院が(兄から弟へという順序で関白職が移るべきだという)道理にかなったことをお考えになり、また帥殿を好ましくなく思い申しあげていらっしゃったので、(帝は)入道殿の御事(=関白になさること)を、たいそうお渋りなさいましたけれど、
「どうしてそのようにお考えになりおっしゃられるのですか。(帥殿が入道殿より)先に大臣になられたことだけでも、たいそう気の毒でございましたのに、(それは帥殿の)父大臣が無理やりになさいましたことですから、(帝も)お断りになれないで(そう)なってしまったのでございます。粟田の大臣には(関白の宣旨を)お下しになって、これ(=入道殿)にだけございませんならば、(入道殿への)気の毒さよりも、(帝の)御ためにたいへん不都合なふうに、世の人もことさら言い立てるでございましょう。」
などと、並ひととおりでなく奏上なさったので、(帝は)わずらわしくお思いになったのでしょうか、その後は(女院の所に)おいでになりませんでした。
そこで、(女院は)ご自分の控えの御座所にお上りになって、(帝に)
「こちらへ。」
と申しあげなさらないで、ご自身、帝の寝所にお入りになりまして、泣く泣く(入道殿の件を)申しあげなさいます。
その日は、入道殿は上の御局に伺候していらっしゃいます。
(女院が)たいそう長い間お出になりませんので、(入道殿が)胸をどきどきさせていらっしゃるうちに、しばらくたって、(女院が)戸を押し開けて出ていらっしゃいました。
お顔は赤らみ(涙に)濡れてつやつやと光っていらっしゃりながらも、お口元は気持ちよくほほ笑みなさって、
「ああ、宣旨が下りました。」
と申しあげなさったのです。
少しばかりのことでさえも、現世における言動の結果ではなく前世に作られた原因による結果なのでそうですから、まして、これほどの(重大な)ご事態は、人(=女院)が、どのようにも思い定めていらっしゃるようなことによってお決まりになるはずのものでもありませんが、(入道殿は)どうして女院をおろそかに思い申しあげなさろうか、いや、そんなことはありません。
(入道殿が女院のご恩に報いようとした)その中でも、道理を越えてご恩に報い申しあげお仕えなさいました。
(女院がお亡くなり火葬にふされた折、女院の)ご遺骨まで(ご自分の首に)お懸けになりました。
大鏡「道長と詮子」の単語・語句解説
特別にお扱い申しあげなさって。
[思ひ申させ給へりしかば]
愛し申しあげていらっしゃったので。
[疎々しく]
よそよそしく。
[ねんごろに時めかさせ給ふ]
心からご寵愛なさる。
[明け暮れ]
いつも。明けても暮れても。
[さらにも申さず]
申すまでもなく。(”さらにも言わず”の謙譲語)
[本意なきこと]
不本意なこと。
[理なり]
もっともである。
[しぶらせ給ひけり]
お渋りなさいました。
[おはしまさで]
いらっしゃらないで。(=お亡くなりになって。という意味)
[とみにやは]
急に。すぐに。
[いかがでかくは]
どうしてそのように。
[いとほしく侍りしに]
気の毒でございましたのに。
[あながりに侍りしこと]
無理やりになさいましたこと。
[便なく]
不都合なふうに。
[言ひなし侍らむ]
ことさら言い立てるでございましょう。
[渡らせ給はざりけり]
おいでになりませんでした。
[こなたへ]
こちらへ(おいでください)。
[御胸つぶれさせ給ひける]
胸をどきどきさせていらっしゃる。
[つやめかせ給ひながら]
涙に濡れて光っているさまをいう。
[こころよく笑ませ給ひて]
気持ちよく微笑みなさって。
[いささかのことだに]
少しばかりのことでさえも。
[いはむや]
言うまでもなく。ましてや。
[かばかりの]
これほどの。
[思し置かむに]
思い定めていらっしゃるようなことで。
[よらせ給ふべきにも]
決まるはずのものでも。
[おろかに思ひさせ給はまし]
おろそかにお思いなさるだろうか。
[仕うまつらせ給ひしか]
お仕えなさいました。
*大鏡「道長と詮子」でテストによく出る問題
○問題:「いなびさせ給はず(*)」とは誰がとった態度か答えよ。
答え:帝。(一条天皇)
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は大鏡でも有名な、「道長と詮子/関白の宣旨/女院と道長」についてご紹介しました。
(読み方は”みちながとせんし”)
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