寛弘五年(1008年)に書かれた世界最古の長編小説、源氏物語(げんじものがたり)。
作者は紫式部(むらさきしきぶ)です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる源氏物語の中から「車争ひ」について詳しく解説していきます。
源氏物語「車争ひ」の解説
源氏物語でも有名な、「車争ひ」について解説していきます。
源氏物語「車争ひ」の原文
大殿には、かやうの御歩きもをさをさし給はぬに、御心地さへ悩ましければ思しかけざりけるを、若き人々、
「いでや、おのがどちひき忍びて見侍らむこそ、はえなかるべけれ。おほよそ人だに、今日の物見には、大将殿をこそは、あやしき山がつさへ見奉らむとすなれ。遠き国々より、妻子を引き具しつつもまうで来なるを、御覧ぜぬは、いとあまりも侍るかな。」
と言ふを、大宮聞こしめして、
「御心地もよろしき隙なり。候ふ人々もさうざうしげなめり。」
とて、にはかにめぐらし仰せ給ひて、見給ふ。
日たけゆきて、儀式もわざとならぬさまにて出で給へり。
隙もなう立ちわたりたるに、よそほしう引き続きて立ちわづらふ。
よき女房車多くて、雑々の人なき隙を思ひ定めて、みなさし退けさする中に、網代のすこし慣れたるが、下簾のさまなど由ばめるに、いたう引き入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫など、物の色いときよらにて、ことさらにやつれたる気配しるく見ゆる車二つあり。
「これは、さらにさやうにさし退けなどすべき御車にもあらず。」
と、口強くて、手触れさせず。
いづ方にも、若き者ども、酔ひ過ぎたち騒ぎたるほどのことは、えしたためあへず。
おとなおとなしき御前の人びとは、
「かくな。」
など言へど、えとどめあへず。
斎宮の御母御息所、もの思し乱るる慰めにもやと、忍びて出で給へるなりけり。
つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。
「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ豪家には思ひ聞こゆらむ。」
など言ふを、その御方の人も交じれれば、いとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。
つひに御車ども立てつづければ、副車の奥に押しやられてものも見えず。
心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと限りなし。
榻などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう何に来つらむと思ふにかひなし。
ものも見で帰らむとし給へど、通り出でむ隙もなきに、
「事なにぬ。」
と言へば、さすがにつらき人(*)の御前渡りの待たるるも心弱しや、笹の隅にだにあらねばにや、つれなく過ぎ給ふにつけても、なかなか御心づくしなり。
げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目にとどめ給ふもあり。
大殿のはしるければ、まめだちて渡り給ふ。
御供の人々うちかしこまり心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさまこよなう思さる。
と、涙のこぼるるを人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま容貌のいとどしう出で栄えを見ざらましかばと思さる。
源氏物語「車争ひ」の現代語訳
大殿は、新斎院の御禊の行列を見にお出かけになると言うようなことも滅多になさらない上に、(ご懐妊中ゆえ)ご気分までもお悪いので(行列見物など)お考えにならなかったが、若い人々(=女房たち)が、
「いやもう、自分たちどうしで人目を避けて見物しますようなのも、見栄えがしないでしょう。(光源氏と関係ない)世間一般の人でさえ、今日の見物には、まず大将殿(=光源氏)を、いやしい田舎者までも拝見しようとしているそうです。遠い国々から、妻子を引き連れてまでも(都に)参上するそうですのに、(それほどの盛儀を)ご覧にならないのは、全くあんまりでございますよ。」
と言うのを、大宮がお聞きになって、
「御気分も悪くない(つわりの)絶え間です。お仕えする人々(=女房たち)ももの足りなさそうに見えます。」
とおっしゃって、急に(外出の準備の)おふれをお回しになって(葵の上は)ご見物(にお出かけに)なさる。
日が高くなって、(葵の上一行は)身分に応じた外出の作法も格別でない様子でお出かけになった。
隙間もなく(物見の)牛車が立ち並んでいるので、(葵の上一行は)重々しく華麗に列をなして車の置き場に困っている。
身分の高い女性の乗っている牛車が多くて、車の両側に付き添う供人たちがいない隙間を見定めて(その辺りの車を)残らず立ち退かせる(その)中に、網代車で少し使いならしているのが、下簾の様子など趣ありそうな様子であるのに、(車中の人々は)ずっと(奥の方に)引っ込んで、わずかに見える袖口、裳の裾、汗衫など、(お召し)物の色合いがまことに美しくて、故意に目立たないようにしている様子がはっきりわかる車が二両ある。
(その車の供人が)「これは、決してそのように立ち退かせなどしてよいお車でもない。」
と、強硬な言い方をして(車に)手を触れさせない。
どちらの側にも、若い者たちが酔い過ぎて大騒ぎしている時の事は抑えきることはできない。
(葵の上方の)年配で分別あるお先払いの人々が、
「このような(乱暴な)ことをするな。」
などと言うけれども、制しきることはできない。
(その車は)斎宮の御母(である六条)御息所が、もの思いに乱れていらっしゃるお気持ちの慰めにもなろうかと、人目を避けてお出かけになっているのであった。
(御息所方は、素性を隠して)何気ないふうを装うが、(葵の上方は)自然と(相手の素性が)見てわかってしまった。
(葵の上方の供人が)「その程度の立場であっては、そんなことを言わせるな。大将殿(=光源氏)を頼りとするところに思い申しあげているのだろう。」
などと言うのを、(葵の上方の供人の中には)その光源氏に仕えている人も交じっているので、(御息所を)お気の毒だと思いながら、(事を荒立てないように)仲裁するというのも面倒なので、そしらぬふりを装う。
とうとう(葵の上方が)お車を続けて並べてしまったので、(御息所のお車は葵の上の)お供の女房が乗った牛車の奥に押しやられてものも見えない。
不愉快なことは言うまでもなくて、このような忍び姿をそれ(=六条御息所)と知られてしまったのが、たいそうしゃくにさわることこの上ない。
榻(=牛車の轅を乗せる台)などもすっかり押し折られて、(轅をその辺の)関わりのない車の筒(=牛車の車輪の中心の、軸を受けている部分)に掛けてあるので、またとなく体裁が悪く、悔しくてなんのために(こんな所に)来てしまったのだろうと思うが(今になって悔やんでも)無駄である。
(御息所は)見物もやめて帰ろうとなさるけれど、通り抜け出るような隙間もないうちに、
「行列が来た。」
と言うので、そうは言ってもやはり冷淡な人(=光源氏)のお通りが自然に待たれるのも心の弱いことよ、(笹の生い茂った物陰であれば馬も止まるのだろうが)笹の隅でさえもないからだろうか、(光源氏が馬も止めず)すげなく通り過ぎなさるにつけても、(なまじお姿を拝見しただけに)かえってもの思いをなさることである。
なるほど、(かねての評判通り)例年よりも趣向を凝らしている数々の車の、我も我もと乗り込んでいる(女房たちの)下簾の隙間隙間までも、(光源氏は)そしらぬふりであるが、微笑みながら流し目でご覧になることもある。
大殿(=葵の上)の車ははっきりわかるので、(光源氏は)真面目な態度でお通りになる。
(光源氏の)お供の人々が(葵の上の車の前では)威儀を正し(敬意を払う)心づかいをしながら通り過ぎるので、(御息所は葵の上に)圧倒された(わが身の)ありさまをこの上なく(みじめだと)自然にお思いになる。
と(嘆きの歌を詠んで)、涙がこぼれるのを(車に同乗している)人が見るのもきまり悪いけれども、(光源氏の)まぶしいほど立派なお姿やご容貌がますます晴れの場で一段と見栄えのする事をもし見なかったとしたら(どんなに心残りであったろう)と自然にお思いになる。
源氏物語「車争ひ」の単語・語句解説
滅多になさらない上に。
[御心地さへなやましければ]
ご気分までもお悪いので。
[おのがどち]
自分たち同士で。
[はえなかるべけれ]
見栄えがしないでしょう。
[おほよそ人]
世間一般の人。
[あやしき山がつ]
いやしい田舎者。
[わざとならぬさま]
格別でない様子。
[由ばめるに]
趣ありそうな様子である。
[ことさらに]
故意に。
[口強くて]
強靭な言い方をして。
[いとほしと見ながら]
お気の毒だと思いながら。
[やつれ]
忍び姿。みすぼらしく変えた姿。
[すずろなる車]
関わりのない車。
[人わろく]
体裁が悪く。
[さらぬ顔]
そしらぬふり。
[おし消たれたる]
圧倒された。
[目もあやなる御さま]
まばゆいほど立派なお姿。
*源氏物語「車争ひ」でテストによく出る問題
○問題:「つらき人(*)」とは誰のことか。
答え:光源氏(大将殿)。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は源氏物語でも有名な、「車争ひ」についてご紹介しました。
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